雨のカーテン

5月9日水曜日、雨。

昨晩うっかり遅くまで目を覚ましていたから、朝が忙しくなってしまった。本降りの雨の中、電車に乗って海のそばの映画館へ。

 

ちはやふる」の完結編を観るのは今日だと決めていた。

絶対観るつもりだったのに、ここまでずるずるかかってしまったのはなぜだろう。おそらくなかなか合わなかったタイミングのせいでもあるけど、キラキラしたそのエネルギーを受けとるのに用意がいったという気もしている。絶対にほしかったものだというのに、不思議。

 

広瀬すずの、世界をつくり上げるような圧巻の魅せ方は本当になんなんだろう。もうずっと見ていたいと思わせる。この作品は広瀬すずに演じてもらって幸せ、広瀬すずもこの作品を演じることができて幸せ、そう感じた。

 

実は、広瀬すずのほかにずっと惹き付けられたのが、優希美青だ。

ずっとキラキラしていた。よくこの世界に、違和感なく、しかし存在感を発揮して入ってきたと思う。いやな感じがまったくしなかった。

目で魅せるオーラが、「あまちゃん」の頃と全然ちがう。こんなに光る存在になっているとは思いもしなかった。いやなところをいやな感じに演じようとしないで、ただひたすらまっすぐなところを受け止めて演じたのがよかった。

 

映画は、よくあの膨大なエピソードをひとつにまとめたな、という感じ。冗長になりかねないところは潔く切り、ディテールにもこだわって魅せきった。

千早が全国大会の一次予選で太一に電話をかけるところ、あんな演技できるものだろうか。「こんなところで終われない」とスイッチが入るところ。部員を見送った部室で、思い出のものを眺めながら太一が来たような気がして涙するところ。奏と屋上で、「この宝物のような時間がずっと続けばいいと思うけど」と話をするところ。太一が帰ってきた瞬間、襷を渡すとき、役者が魅せるプロだとしたら、広瀬すずは完璧にプロだと思った。

 

 

高校生の頃の、「いつもの場所」は、そのときには私たちのための場所だった。その二年間だけはたしかに、私たちのためにその場所はあってくれたのだ。暗い階段下に並べられたメトロノーム、謎の音が鳴る廊下、もう戻ることはなくても、私はたしかに、それらを宝物のように感じていた。最初は同じところにあったものが、離れていくやるせなさもいたいほど感じてきた。あのときがあって、今の私がある。これはもう絶対にそうだ。涙を流して、ヒリヒリして、それらを通り抜けて今笑っていられる。これは、自分で自覚しているつもりになっていたよりも、もっともっと、もっと尊いことだったのではないか。

 

もっとーーもっともっとできるだろう。そう思った。