ひみつの営み

5月7日月曜日、たまに光ののぞく曇り。

今日はついに始めたヨガレッスンの初日だ。体験レッスンの方が勇気はいったけれど、それでもまだ二度目。ハードルはまだまだ高い。

 

何がきっかけだっただろう。職場に向かうにも家に帰るにも必ず通る場所を少し入ったところに、ヨガスタジオができたと知った。

自分でも、どうしてこんなに引っかかるのか考えてみていたが、

体を動かしたかった→Yes

ストレス解消によいと聞いて→Yes

運動不足をさすがに気にして→Yes

 

もちろんどれもYesだった。

 

だけど、人に話さない(そもそも、始めることさえほぼ誰も知らない)その奥のところに、心が動いた本当の理由があるのではないか、という気がする。

 

それは、私が29歳を迎えているということが大きく関係している。

これまでの人生で運動という運動をしてこなかった、運動はことごとく苦手な私だが、それでも自分の体のポテンシャルーいわば可塑性を感じることはあった。

それはなにも、運動神経が良い劣るという話では全くなくて、

「これは育てたら伸びるのではないか」

という、ほのかな感覚だ。

 

体育の授業で、ごくピンポイントで周囲の中でも綺麗にこなせる動作があったとき。

同じような立ち位置の周囲より、ほんの少し丈夫に動けているように感じたとき。

社会人になってからの体力を問う活動で、思いがけず周囲から抜ける形で耐えられたとき。

 

いずれもふとしたときに、「心配していたよりできた」という程度のことに違いない。

だが、普通程度にできるタイミングがあったとしたら、それは自分にとって大きな発見だった。それくらい根本的に、自分の体力(厳密に運動能力)にはまるで自信がなかったのだ。

 

何をやるにしても人より時間がかかる私も、大人になって、自分なりに何かを身につける取り組み方を編み出して使えるようにしたい気持ちはあった。

少なくとも、まったくできなかった学生時代と違うのは、「ちゃんと見て、真似する」という方法を試すようになったことだった。体のしなやかさをものにする(とイメージする)ヨガをすることで、果たして自分のやり方が通用するのか試したかったし、もしうまくいかないのなら、試行錯誤してアップグレードした方法論を体に入れたいと思ったのだ。

そして、体を育てる実感をもつのに、自分にとっては今がかなり適したタイミングだと直感した。説明しきれないが、ひらめきに近いような形で、逃したくない、と思ったのだ。あれだけ怖じ気づきやすいのにどうにかしがみついて始めたのは、このタイミングに後押しされるところが大きい。

 

自分を育てたかった。そして可塑性を見つけたかった。それには今のタイミングがジャストミートしていて、私にはたまたまそれが、29歳の今だったのだろう。という感じ。

 

 

キーボードを持たない私は、この記録をスマートフォンで書くことにした。思考のスピードがゆっくりになるけど、それもいいかなぁ、という程度に。

 

夕方につめたい雨がすべり落ちてきて、やはりこの銀色の暗さが好もしいなぁと思って、そっと家に帰っては滑り込むのだった。